東北地方太平洋沖地震。

diary | 2011年3月13日 12:27:07 | abex


2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。

地震で被災された皆様、お見舞い申し上げます。

私は、その時、六本木のオフィス15階のデスクで仕事をしていました。エンジニアが対応したものをチェックし終わり、最終確認までの1時間を資料作成でもしていようかと思っていたところ、激しい揺れに見舞われました。

ゆったりとした横揺れがだんだん大きくなったのにもかかわらず、ビルの防災放送がなく、「あれ?」という感じでした。身の危険を感じ、机の下にもぐりながら、「これは長周波地震動だから、宮城県沖か東海地震なのでは?」と思いました。

すぐに大声で「テレビつけて!」と叫んだあと、自分のデスクのPCでYahoo!の地震情報を開きました。

すると「宮城県北部 震度6強」の文字が目に入り、大声で再度叫びました。リロードすると、「震度7、津波10m」の文字が見えたので、それも大声で叫びました。

宮城県仙台市には妹一家が、福島県二本松市には実家があり、「これはヤバいぞ」と思いました。家族にケータイのメールで、状況を問い合わせるも返信はなく、電話もつながらない状態となってしまいました。

その直後、ビル内で火災が発生したとのアナウンスがあり、上着とケータイを持って、階段を下り、ビル1階の公園に避難しました。

台場方面からは黒煙が上がっており、尋常ではない状態となったことを認識しました。幸い、オフィスのビル火災はボヤで済んだのですが、オフィスのフロアに戻してもらえるまでに2時間ほどかかりました。

その間に、福島県二本松市にいる母親から無事である旨のメールが届きました。

オフィスのエレベータが停止していたので、15階まで階段で移動しました。オフィスでテレビのニュースを見ながら情報収集するも、本当に厳しい状態であることがわかってきました。

都心部にいる私の次なる問題は、帰宅難民になることでした。私は、そのことを想定して、オフィスと同じ港区内に住んでいるわけですが、電車がすべて止まっているという情報を得たうえで、Twitterで都バスは動いていることを確認できました。

六本木ヒルズから五反田行きのバスがあることを知っていたので、それで品川駅の高輪口で降りようと思い、六本木ヒルズに向かって歩きました。すると、道路は大変な渋滞になっていました。歩道を歩いている人も多くいました。

六本木ヒルズのバス乗り場は、案の定大行列になっていましたが、港区のローカルバス”ちいバス”には行列はありませんでした。田町行きのちいバスが、タイミングよくきたので、運転手さんに「田町までどれくらい掛かりそうですか?」と聞くと、「1時間半掛かりそうなので、歩いたほうが早いよ。」と言われましたが、確実に座れそうなので、乗っていくことにしました。

18時半ごろ、ヒルズからちいバスに乗りました。その間に、skypeで父親と連絡がつき、実家は奇跡的に電気ガス水道のライフラインに問題がないことが確認できました。そして、仙台市に住む妹一家と連絡がつかないこともわかりました。

20時ごろ、三田のNEC本社まで行けましたが、その先は渋滞で進めず、バスを降りました。そこから、田町駅の中を通って、我が家に帰宅しました。田町駅では、多くの人が座り込んでいました。港区長のアナウンスで、会社に戻れる方は戻るようにと放送が流れていました。

近所のコンビニでは、酒瓶が倒れたらしく、酒臭い感じがしました。食料の棚は、ほとんど空になっており、水も売り切れていました。最低限のレトルト食品を買いました。

帰宅すると、マンションのエレベータが停止しており、9階の自宅まで階段を上りました。部屋の中は、寝室の本棚から少し物が落ちただけでした。電気ガス水道も問題ありませんでした。

帰宅後もskypeで福島とは連絡がついており、妹一家は全員無事で、仙台市の避難所に行ったことがわかりました。昨日には、福島の実家に移動したことがわかりました。妹の家は、家の中がめちゃめちゃになってしまったそうです。

福島は原発が大変危機的状態になっていますが、実家は原発から60kmくらいの距離にあります。安全だとは言い切れないし、山に囲まれているので土砂崩れの危険もあります。

まだまだ余震が続いていますので、しっかり危機管理をして、いつでも避難できるようにしておいてほしいなと思います。

そういう東京も安全ではなく、我が家は制振装置がついていますが、余震でず~っと船酔いみたいな状態ですし、いつ直下型地震が発生するかわからない状態ですので、持ち出し袋を準備しておきます。

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