「2014年を振り返る」
2月には名古屋と大阪に行き、3月には広島に行き、4月には韓国に行き、5月には両親と伊豆に行き、6月は大分・湯布院に行き、10月には再び韓国に行き、12月には札幌と函館に行きました。
国内を歩きまわった1年でした。
仕事では4月に部署異動をしましたが、その後も順調に進んだ年でした。
「2015年の抱負」
4月から3ヶ月間、会社のサバティカル休暇制度を使って業務から離れます。4月、5月は、シンガポールに語学留学します。6月は、どこかに旅行に行こうと思っています。
「仕事」…相変わらず、若手をサポートする業務に徹しようと思いますが、3ヶ月も業務から離れるので、どんどん仕事を任せていこうと思います。
「学業」…1月から3月はskypeで英会話力を鍛えて、4月からの留学に備えます。
「遊び」…相変わらず、今年も旅行に写真にあちこちふらふらしたいと思います。
というわけで、2014年に続いて2015年もよっぽどのことがなければ色恋沙汰も結婚もなさそうですがw
ちなみに、2015年のテーマは「変」です。
変化し続ける1年にしたいと思います。
そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。
#年賀状は今年も写真付きにしてみました。とりあえず、元気です。
]]>「2013年を振り返る」
2月には、名古屋と大阪に、広瀬香美さんのライブで遠征することができました。たくさんのファン仲間に会うことができました。
3月にはシンガポールに、9月にはドイツ・ミュンヘンに行きました。
シンガポールでは、両親を連れ、念願だったマリーナ・ベイ・サンズに宿泊し、屋上のプールで泳ぐこともできました。シンガポールは、主目的が父の友人に会うことだったので、時間が足りずに行けなかったところがあるので、また行きたい場所になりました。
ドイツ・ミュンヘンでは、世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト」に行くことができました。世界中からビール好きののんべえが集まっていました。初めて1リットルジョッキでビールを飲んだり、朝からビールを飲んだり、美味しい料理を食べたり、楽しい旅行でした。
5月には、2級ファイナンシャルプランニング技能士の試験を受けました。昨年の10月からユーキャンの講座で勉強を始め、5月に試験を受けるという最短コースでしたが、7月の合格発表で午前の部も午後の部も合格していました。同時に、AFP資格も取ることができました。途中1ヶ月半ほど、テキストを開くのも嫌になっていましたが、提出課題だけはしっかり提出して、指導を受けていました。試験対策のスクーリングにも参加し、苦手だった年金の部分を勉強していました。なんだか、ちょっとだけ自信がつきました。
「2014年の抱負」
5月には36歳になってしまいます。しかも、本厄。
「仕事」…相変わらず、ネット業界にいると思いますが、徐々に、若手をサポートする業務にシフトして行こうかなと思います。
「学業」…AFP資格の継続教育を受けつつ、CFP資格を目指すか考えたいと思います。
「遊び」…相変わらず、今年も旅行に写真にあちこちふらふらしたいと思います。
というわけで、2013年に続いて2014年もよっぽどのことがなければ色恋沙汰も結婚もなさそうですがw
ちなみに、2014年のテーマは「走」です。
持久走、短距離走、常に走り続けることになるでしょう。
そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。
#年賀状は写真付きにしてみました。時間がなくてメッセージを書けませんでしたが、とりあえず、元気です。
]]>[07:05] おはようworld!今日から10月。FP2級講座の勉強開始。 #ohayo #
[08:20] 早めに出社して、スタバでコーヒー飲みながら、FP2級講座のテキストを読む。 (@ Starbucks Coffee 東京ミッドタウン コンプレックス スタジオ店) [pic]: http://t.co/S02pLfz1 #
[12:27] 海老と穴子天丼。うまうま。 (@ ぬる燗 佐藤) [pic]: http://t.co/Rrr6PwO9 #
引用元: Daily tweets for 2012-10-01 | blog@Junkie Surfer Notes.
その結果が7月3日に発表になり、学科試験、実技試験ともに合格していました。2級ファイナンシャル・プランニング技能士(資産設計提案業務)の資格を得ることができました。
ユーキャンの講座は、AFPの認定研修も兼ねているので、2級FPに合格し、日本FP協会に登録することでAFP資格も得られます。(先日、登録書類を送付しました)
ファイナンシャルプランナーがどんな役割なのかから学習する必要がありましたが、ユーキャンの講座は、テキストがわかりやすく、学習のペース作りにも役立ちました。
しかし、途中1ヶ月半ほど、テキストを一切開くことができなくなりました。わからない問題が多い分野に入ったことが原因でした。そんな時に、試験対策のスクーリングや直前対策などで直接講師の講義を受けることができ、再びやる気を取り戻すことができました。
試験前の1か月ほどは、ネットに公開されている過去問を解き、苦手分野の相続税や贈与税部分の対策をしましたが、その時も、ユーキャンから送られてくる解説が役立ちました。
ファイナンシャルプランナー講座で学ぶ内容は、各ライフステージで必要となる家計の知識が詰まっています。資格取得をめざす方以外にも十分に役立つ内容です。
さて、次は何の資格を目指そうかな。
]]>「2012年を振り返る」
集中的に体重を減量したり、レーシック手術を受けたり、身体のメンテナンスをする年でもありました。レーシック手術後は、コンタクトレンズや眼鏡の煩わしさもなくなり、見え方も満足いくものとなりました。
相変わらず、広瀬香美さんのオッカケをした年でもありました。大阪遠征もしました。大阪のファン仲間にも大変お世話になり、おいしいお店に連れて行ってもらったりもしました。
仕事が忙しかったため、長い休みが取れず、海外旅行は、週末を利用して韓国に2回行ったのみでした。そのうちの1回は、同僚たちとの韓国での女子会開催となりました。
「2013年の抱負」
5月には35歳になってしまいます。
「仕事」…ネット業界の第一線でやっていられるのは40歳まで。若手に疎まれない程度に、たんたんとやっていこうかなと思います。
「学業」…FP2級の試験を受けます。
「遊び」…今年も旅行に写真にあちこちふらふらしたいと思います。
というわけで、2012年に続いて2013年もよっぽどのことがなければ色恋沙汰はなさそうですがw
ちなみに、2013年のテーマは「型破り」です。
そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。
#2013年の年賀状は、喪中のため、送っていません。いただいた年賀状については、メール等で返信させていただきます。
]]>2日経ちましたが、とても快適な見え方と状態を保っています。左1.5、右1.2と、術前に希望していた視力になりました。
そもそも、なぜレーシック手術を受けることになったかというと、中学2年から眼鏡、大学2年からコンタクトを使い、約15年にもおよぶコンタクトレンズとの戦いがありました。始め、2週間使い捨てのコンタクトを使っていましたが、10日くらいで乾燥感がひどくなり、結膜炎にも何回もなりました。収入が安定してくると、1日使い捨てのコンタクトに替えましたが、年間のコストが7万円ほどになり、2ヶ月に1回の通院も面倒になって来ました。また、コンタクトをつけたまま寝てしまうこともあり、目の酸素不足により、血管が浸潤してくるようにもなっていました。
両目とも裸眼で0.04と近視がきつく、裸眼で10分といられなくなっていました。
コンタクトを買いに行った時に、これまで掛かったコストを考え、「レーシックを受けよう!」と思いたち、5月25日、26日、27日、6月2日で、品川近視クリニック、銀座近視クリニック、神戸神奈川アイクリニック、東京近視クリニックの4つの病院の適応検査を受けました。
適応検査のためということもありますが、病院の設備、先生の信頼性、清潔感などをチェックするためでもありました。特に、術式の説明が丁寧かどうかがポイントでした。いくつかの病院からは、手術費用が30%割引になるモニターに当選したと連絡をいただいていましたが、そんなことは関係なく、自分の目を託せる病院を選ぶようにしました。
それと、術式は各病院のもっとも高額のものを選ぶつもりでいました。大事な目のことなので、ケチるつもりはなく、自分にできるリスクヘッジはしっかりやっておこうと考えていました。
品川近視クリニックに決めた理由は、同僚や友人でレーシック手術経験者の多くが品川近視クリニックで受けていたことと、その全員が術後の経過が良く、術後数年経っていても視力が落ちていないことでした。社内SNSで、レーシック手術を受けた方にアンケートを取ったところ過半数の方が品川近視クリニックで受けていたことも決め手でした。病院も清潔感があり、手術に使用される機材が最新なことと、症例数が多いことも大事な要素でした。最後まで気になっていたことは、検査と手術の担当医とほぼすべて違う先生が担当することでした。手術の担当医を知ったのは術後でした。
手術当日は、17時にクリニックに行き、まずは術前検査を受けます。適応検査の時よりは項目が少ないですが、最高級アマリスZレーシックを受ける人用の検査項目もあるとのことでした。
検査が終わったら、会計カウンターに案内され、手術費用を支払いました。私は、クレジットカード一括でお支払いしました。生命保険の給付金申請に必要な診断書の作成費用9,000円も一緒に支払いました。
会計が終わったら、手術フロアに案内されました。
手術フロアの入り口で靴を脱ぎ、クリーンルーム用のサンダルに履き替え、ロッカーにバッグや靴を入れました。その後、手術エリアに自動ドアを2つか3つ通り連れられて行くと、術前の診察に案内されました。その際、頭に髪の毛を止めるためのキャップを被ります。手術フロアは、衛生的な状態にするため冷温になっているのに、バッグにシャツを置いてきてしまい、Tシャツだった私はかなり寒い思いをしました。
術前の診察は、ちょっとゴツい感じのスポーツマンっぽい先生で、その先生が手術の先生だったようです。(定かではありませんが)診察でも特に問題はなく、「なにか聞きたいことは?」と言われたので、「1.2〜1.5くらいの見え方になりたいです」と言ったところ、「あなたの場合は、それくらいまでしか視力検査でも矯正できていないので、そこを目指しましょう。」とのことでした。
それから、控え室のようなところに行くと、約20人ほどが手術を待っていました。テレビで術後の目薬の使い方を説明していました。私より前に呼ばれていった人たちも術式は、最高級アマリスZレーシックでした。
少し待っていると、名前を呼ばれ、点眼麻酔などの目薬を3種類ほど点眼されました。その後、手術室の前まで案内され、部屋の前に置かれた椅子で目を閉じて待っているように言われました。その際、再び目薬をさされました。腕時計を見ると、ちょっとぼやっとしていました。
18時23分に、手術室に入りました。
手術室に入る段階で、すでに眼鏡を外していたので、何人いたのか定かではありませんが、おそらく6〜7人ほどの医師、看護師、技師などの方々がいたと思います。機械の下のベッドに寝かされ、看護師さんに位置を微調整されました。動かないようにと言われましたが、首がちょっと不自然な角度に固定されていて、途中から首が痛くなりました。思っていたよりも自分は落ち着いていましたが、手に握った眼鏡が手に食い込んでいました。
まずは、右目の手術でした。緑の光を見ているようにと言われながら、まつげを固定するテープが貼り付けられ、まぶたを固定する器具が取り付けられました。上からシートのようなものが掛けられ、その上に機械が置かれたかと思ったら、みるみるうちに緑の光が見えなくなり、宇宙の星々を見ているような不思議な空間が広がって来ました。機械が外されたかと思ったら、横から「24秒です」(記憶が定かではありません)という声が聞こえたかと思ったら、レーザー照射が始まったらしく、ちょっと焦げ臭い臭いがして、「80%です」、「はい、終了です」と聞こえてきました。そのあと、目に何かを塗っているような感覚と見えた感じがあり、角膜をかぶせているような感じでした。次に、左目の手術でしたが、こちらはおそらく22秒だったような気がします。
終わると、緑の光が術前よりも、鮮明に見え、眼前の機械が見えていました。ただ、ちょっとだけモヤが掛かったような感じがありました。手術室を出ると、ちょっと暗い安静室に連れて行かれ、リクライニングチェアに座って、目を閉じて休むように言われました。手術を担当した医師の名刺を渡され、そこで初めて、手術の担当医を知りました。最高級アマリスZレーシックの場合は、役職付きの医師が担当すると聞いていたのですが、そのとおりでした。
ちょっと目を開いて腕時計を見ると、18時34分でした。手術室に入ってから出るまでに、約10分でした。その後、40分ほどリクライニングチェアで安静にしていましたが、途中、目薬を点眼されたりしました。
術後の検査に案内され、手術とは別の先生が診察し、問題ないことを確認され、術後に点眼する目薬と保護用ゴーグルを受け取り、点眼の説明を受けて終了でした。
この段階では、おそらく0.5くらいの見え方のようでした。ちょっとモヤっとした感じなだけで、まったく痛みもなく、涙が出続けることもなく、ゴロゴロ感もなく、自然な感じでした。
家に帰り、テレビやパソコンに向かわないように気をつけて、ちょっと暗めにした部屋で、1時間に1回、処方された目薬を点眼して、目を閉じ、ゆっくり休んでいました。夜10時過ぎに、ちょっとだけドライアイがひどくなった時のような痛みが出たので、痛み止めを点眼しました。痛み止めを点眼すると、すぐに痛みは無くなりました。
寝ている時に目を擦らないようにプラスチックの眼帯を付けて寝ました。夜中に、眼帯を固定するテープが気になって何回か起きましたが、その際、目を開けると周りがしっかり見えていて、うれしくなりました。
翌朝(6月30日)、起きてすぐ保湿用の目薬を点眼し、日課の体重測定をしてみると、以前は、表示部分を目に近づけないと見えなかったのに、体重計に乗った直後から体重の数値が見え、一晩での変化にビックリしました。
モヤッとした感じもなくなり、コンタクトを使っていた時と変わらない見え方になっていました。
翌日検査に行くと、左1.5、右1.2になっていました。眼鏡やコンタクトのときに、1.2〜1.5だったので、ほぼ同じになりました。見え方の違和感もまったくありませんでした。診察でも、問題ないとのことでしたが、またしても違う先生でした。痛み止めの点眼薬のみ回収され、紹介制度の説明を受け、手続きをしたら終了でした。約20分ほどで翌日検査は終了しました。
翌日検査のあとは、1日5回ほど点眼薬を使い、保護ゴーグルをつけていたものの、親と食事に行ったり、東京ソラマチや浅草寺に行きましたが、まったく問題なく、見え方の変化もなく、快適でした。近視がひどかった裸眼のままで街を歩いたことが無いので、見えなかったものが見えるという感動はありませんが、コンタクトや眼鏡を使わずに見えているこという不思議な感じがありました。
今回掛かった手術費用などは以下のとおりです。
最高級アマリスZレーシック 両眼32万円
紹介クーポン -5万円
診断書作成費(生命保険の給付用) +9,000円
合計 27万9,000円
私が入っているプルデンシャル生命の手術給付金の対象にレーシック手術が含まれていたので、5万円の給付があることを術前に担当者に確認し、診断書のフォーマットをもらっていました。実質、22万9,000円で受けられたわけですが、コンタクトのコストに換算すると約3年分になります。 通院する時間を考えたら、もっと短い期間に値するかもしれません。
レーシック難民という言葉が、話題に上ることが多くなった時期に、不安を感じつつも病院探しを始め、自分にできるリスクヘッジをした上で、レーシック手術を受けてみて、今となっては、もっと早く受けておけばよかったと思っています。
ちなみに、ハロー・グレア現象については、コンタクトをしていた時からあったのですが、ほとんど気になりません。
最後に、声を大にして言いたい。
レーシック手術をもっと早く受けておけばよかった
#もともと使っていたZoffの眼鏡は、Zoff PCの度なしレンズに交換してもらうためにZoffのショップに持って行きました。なんと、3,150円でやってもらえるとのことでしたが、レンズの在庫切れで10日ほど掛かるとのことでした。それまでは、あまり目を酷使しないように気をつけます。
]]>誕生日当日は、有給休暇をつかって友人たちと3人でディズニーシーに行き、開園から閉園まで遊びまくったり、ビールを飲みまくったりしました。
MBAを取得しましたが、相変わらず働いており、写真もぼちぼちやっています。博士課程に行こうかなと思っていますが、勉強はあまり進んでおらず…。
恋愛にうつつは抜かさず、適度に遊びながら、進んでいこうと思います。
博士課程の受験は、残念ながら落ちてしまいましたが、なんだか納得の行く落ち方だったので、数年後には再度チャレンジしようと思います。
とはいえ、MBAをとったからというよりも、それまでのプロセスで学んだことを生かして、仕事は確実にしやすくなっています。
遊びもこれまで以上に遊びまくろうかと、誕生日翌日にはレディー・ガガ(Lady Gaga)のライブに行ってきました。
まずは、今取り組んでいるダイエットを適度にがんばりつつ、おもしろいことをやっていこうかなと思います。
とりあえず、どっと年を取ったような気がする。
]]>「2011年を振り返る」
2011年は、3月の東日本大震災を経験し、死を意識した年でした。(人間ドックでも異常が見つかり、再検査で問題ありませんでしたが。。)
地元福島が被災し、原発事故により実家周辺も放射線量が高く、最近ようやく毎時1マイクロシーベルトくらいになってきましたが、まだまだ安全とは言えない状況になってしまいました。5月に両親を連れてイギリス・カーディフでの大学院の卒業式に行く予定でしたが、母親だけ連れて行くことになり、二人でフランスのモン・サン・ミシェルからイギリスに掛けて旅行しました。
旅行は、5月にフランス・イギリス、10月に香港・マカオ、12月に韓国と年に3回も海外旅行に出掛けることができました。
広瀬香美さんのライブに行きまくったり、ファンクラブ仲間とカラオケに行ったり、楽しい1年でした。
総括すると、仕事に遊びに一生懸命になれた1年 でした。
「2012年の抱負」
5月には34歳になってしまいます。
「仕事」…期待を裏切らない程度にたんたんとやっていこうかなと思ってます。
「学業」…2月に博士課程の受験を控えていますが、今回は突貫で準備してしまったので、もしかすると落ちてしまうかもしれませんが、次のチャンスのために準備を進めていきたいと考えています。
「遊び」…今年も多くのライブに行ったり、旅行に行ったり、写真を撮りまくったりしたいなと思います。
というわけで、2012年もよっぽどのことがなければ色恋沙汰はなさそうですがw
ちなみに、2012年のテーマは「パワフル」です。
そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。
#2012年の年賀状は、昨年いただいた分から順次お送りします。
]]>時差ボケのせいもありますが、ほんと疲れやすくなりました。
修士論文を提出し、大学院生生活も終わり(査読の結果待ちですが)、写真の学校に通い始めました。31歳のうちに始めたかったことを1つ始めることができています。
相変わらず、恋愛にうつつを抜かすことにはなっておらず、仕事はこの半年ほどとても充実しています。この状態を保ちつつ、再び本気ダイエットを始めたり、いろいろやってみたいこともあるので、思いっきりやれるところまでやってみようと思っています。
これからの1年もあっという間に過ぎてしまいそうですが・・・。
昨夜は、いちごのタルトのケーキとスパークリングワインでささやかながらお祝いしました。が、ラジオ番組に夢中であまりちゃんと味わってませんでした。
MBAを取得しましたが、相変わらず働いており、写真もぼちぼちやっています。博士課程に行こうかなと思っていますが、勉強はあまり進んでおらず…。
恋愛にうつつは抜かさず、適度に遊びながら、進んでいこうと思います。
#Twitter、Facebookでメッセージをくださった多くの皆さま、ありがとうございました。
]]>「2010年を振り返る」
2010年は修士論文の執筆から始まり、3月末の締め切りまでそれ以外のことができない状況でした。ホテルに缶詰になったり、会社を休ませてもらって論文書きをしました。
4月から10月まで「写真の学校」に通って、写真の腕を磨いたりもしました。12月にはカメラを買い換え、Canon EOS 60Dを使い始めました。
7月には修士論文が審査を通った旨の連絡をもらいましたが、そのあとは、仕事メインの生活になってしまいましたが、8月にはオーストラリア・ケアンズに、12月には4回目の韓国・ソウルへ旅行することができました。
「2011年の抱負」
歳はとりたくないですね~。
いや~、ますます老けた気になってきました。
31歳の誕生日は、同僚たちとランチに行き、ゴチになりました。プレゼントやら、メールやら、たくさんもらいました。
相変わらず、大学院と仕事の両立でハードな毎日を送っているし、恋愛にうつつを抜かしている時間はないし、な〜んか、これからの1年もあっという間 に通り過ぎて行くような気がします。
今夜は帰宅途中で、東京タワーに行ってきました。
32歳の誕生日は、元同僚であり飲み友である女性と2人で新宿でささやかなお誕生会をしました。おいしい料理とお酒をごちそうになりました。(ありがとうございました)また、会社ではプレゼントをいただいたりと、ちょっとしたお祭り状態でした。
修士論文を提出し、大学院生生活も終わり(査読の結果待ちですが)、写真の学校に通い始めました。31歳のうちに始めたかったことを1つ始めることができています。
相変わらず、恋愛にうつつを抜かすことにはなっておらず、仕事はこの半年ほどとても充実しています。この状態を保ちつつ、再び本気ダイエットを始めたり、いろいろやってみたいこともあるので、思いっきりやれるところまでやってみようと思っています。
これからの1年もあっという間に過ぎてしまいそうですが・・・。
#Twitterでお祝いtweetをくださった多くの皆さま、ありがとうございました。
32歳になったら上司と部下を使い倒すことを覚えなさい!! | |
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昨年同様に、ビールは3に入り、枝豆もなくなり、あたりめを食べながら、紅白を見ています。残すところ年越し蕎麦だけとなりましたが、「2009年の総括」と「2010年の抱負」を書きます。
「2009年を振り返る」
いやはや、31歳ともなると1年は本当に早いもので、今年こそは、今年こそはと思っているうちに終わってしまったような気がします。
今年前半は、いろんな意味で出口の見えないトンネルをもがきながら進んでいたような気がします。
後半は、仕事がいい方向に進み、プライベートも学業も充実した日々が続きました。
そして、今年は3回も海外旅行に出かけることができました。6月の韓国、8月の台湾、10月の中国(北京)と近場でしたが、おいしい食事や各国それぞれの文化を感じることができました。
さらに、11月には広島に13年ぶりに行くことができ、旅した1年でした。
「2010年の抱負」
5月には32歳になってしまいます。
「仕事」…10月に異動になり、恵まれた環境で、おもしろい仕事に取り組めているので、もっと貢献できるように頑張りたいと思います。今の自分は、過大なくらい評価していただいているので、少しでもそれに報いないと罰が当たるような気がするのです。
「学業」…3月末の修士論文提出に向けて、ラストスパートしなければならない時期に突入します。いい感じにまとまったら学会発表もしてみたいし、ブログやインターネットを通じて、自分にたくさんの刺激をくれる方々へ恩返しできるような論文になればいいなと思います。
ちなみに、2010年のテーマは「ステップアップ」です。
そんなこんなで、今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
#2010年の年賀状は、昨年届いた分だけお送りします。
#2010年は本厄です。厄払いに行かないと…。
0が1になっただけなのに、なぜ婚期を逃している感が増すのか・・・。
老けた感じも増したような・・・。
30歳になりました。 | blog@Junkie Surfer Notes
30歳になる10分前に帰宅し、リビングでテレビを見ながらむかえました。その前に、すごくうれしい出来事がありました。
昨日、大学院の授業のあと、財務会計の課題で”粉飾決算”をテーマにしているグループとの飲み会で、思いがけずお祝いをしていただきました。サプライズだったので、とってもうれしかった〜。
31歳の誕生日は、同僚たちとランチに行き、ゴチになりました。プレゼントやら、メールやら、たくさんもらいました。
相変わらず、大学院と仕事の両立でハードな毎日を送っているし、恋愛にうつつを抜かしている時間はないし、な〜んか、これからの1年もあっという間に通り過ぎて行くような気がします。
今夜は帰宅途中で、東京タワーに行ってきました。
小学1年生のときに、初めて行った東京タワー。
小学校の卒業文集に、「将来は東京で暮らす」と書いた私は、今、こうして東京で暮らし、毎日、東京タワーを見ています。
修士論文の提出までは、たいへんな日々が続きますが、まだまだやってみたいことがたくさんあって、博士号をめざしたいな〜とか、写真の学校に行ってみたいな〜とか、公認会計士の試験を受けてみようかなとか、世界一周してみようかなとかとか。
でも、ぜんぶ叶えてしまいそうな予感がしますよ。
夢をかなえるゾウ | |
水野敬也
飛鳥新社 2007-08-11 おすすめ平均 |
♪夢を追いかけるなら
たやすく泣いちゃだめさ
君が教えてくれた
My Fears My Dreams 走りだせる♪
小学校の卒業文集で、「将来、東京で暮らす」と書いた私は、
30歳を過ぎた今、東京で働きながら、学び、暮らしている。
もちろん、これまで順調に進んできたわけではないし、失業していた時期もある。苦しみながらも、そのことで泣いたことはない。(たぶん)
10歳年下の末弟が、解雇通告を受けた。高校を卒業して、正社員として働いていた靴メーカーの業績悪化に伴うもの。このまま転落人生を歩んでほしくないし、このチャンスを活かして、自立してほしいと思っている。
父親に甘えれば、父親の会社で働くこともできるだろうけど、そうではなく、自分で進む道を選ぶ絶好のチャンスだと思う。まだ20歳だし、ワーキングホリデーを活用して海外に出ていくこともできるし、なにかを学ぶ時間もあるし、本当にやりたいことを見つけることもできる。しかも、ネットを使えばそういう情報は容易に手に入れられる。
解雇通告を受けたからと言って、弟はダメなヤツ、何もできないヤツではないと思う。時間が掛かってでも、自分の進む道を自分で見つけてほしいと思う。
自分の人生に責任持てるのは自分しかいないしね。
Dear My Songs | |
渡辺美里
ERJ(SME)(M) 2008-10-08 おすすめ平均 |
ビール2本飲み終わり、枝豆もほとんどなくなってしまい、残すところ年越し蕎麦だけとなりましたが、「2008年の総括」と「2009年の抱負」を書きます。
「2008年を振り返る」
30歳にもなると、1年が早く過ぎているような気がします。
今年1月は、30歳の誕生日(5月11日)までに結婚するぞ!とガケっぷちでもがいていたような気がします。元旦から気合いをいれるために神田明神で初詣、1月4日から上海旅行に出掛けました。
愛ちんのライブに通ったり、ホームパーティーしたり、花粉症に悩まされたり、、、しかも、日光の杉林を歩いて、花粉症が悪化…orz
4月には、大学院に入学。入学ついでに、レッツノートR7を買いました。授業は、最初からハードで十分に眠る時間もなくなりました。勉強で大変な時に、読書にもハマってしまい、読書量が急増。もちろん、恋愛も婚活もまったくナシ。
そして、5月には30歳に突入。
この辺りもほとんど勉強の印象しかなくて、6月の期末テストに向けて、レポートとテスト勉強の日々だったような気がします。
色恋沙汰から遠のいて、学業にシフトしていたなぁ~と思いました。脇目もふらずといったところでしょうか。
7月はiPhone狂想曲からスタート。表参道店に前日から並んで、道路に寝る経験をしました。 今は、iPhoneの無い生活は考えられません。
8月には、クアラルンプールに旅行に行きました。
マンダリンオリエンタルホテルのプールでビキニとか、なかなかゴージャスな旅を満喫しました。
帰国後には、a-nationのライブにも行きました。(このとき、小室哲哉は終わったって思ったんでした)
もちろん、この間にも大学院の授業は普段通りありました。
9月には、映画「おくりびと」を見て、死生観について考えさせられ、10月にはピンクリボンのイベントで都内を12km歩き、10月下旬にはデジタル一眼を買い、11月、12月は大学院の課題で死にそうな思いをし続けました。
なんとか乗り越えて今ここにいるわけで、乗り越えられない壁なんかないんだと思うわけです。
「2009年の抱負」
2009年は、31歳になります。
一気に年をとった気分になりました。なんでだろう…30歳までは、まだなんとかみたいな気がしてましたが、1歳増えるだけなのに、何かが違う気がします。
いくつかの項目に分けて抱負を書いてみます。
「仕事」…来年は、年明け早々から会社の新規事業プロジェクト2本をプランニングしなければならず、2月下旬の経営会議を通ると、新規事業として立ち上げなければならなくなります。 今まさにチャンスを手に入れようとしているわけで、がんばりどころなのです。
「学業」…4月からは選択科目の授業が始まり、10月からは修士論文の執筆を始めます。でも、大学院に行ってよかったって、今、すごく思っているし、学校に行くのが楽しいし、時にはつらいこともあるけど、あと1年頑張って、学位授賞式のために絶対イギリスに行きたいと思います。
ちなみに、2009年のテーマは「生活力向上」です。
派遣切りとか、不景気で大変なことになっているので、路頭に迷ったりしないように、生活力を向上させたいと思います。
そんなこんなで、今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
#2009年の年賀状は、届いた分だけお送りします。
#2009年は前厄でした。厄払いに行かないと…。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! 三十路! 相変わらず、同じ会社で働いてますが、大学院生になったり、ちょっとずつ世界を広げつつあります。愛ちんの追っかけも相変わらず。
29歳の誕生日にこう記していました。
29歳になりました。 | blog@Junkie Surfer Notes
29歳になる瞬間は、リビングでスポーツ番組を見ながら迎えました。
お誕生会は、明日の誕生日当日にやることになったのですが、なにせ店の予約とか自分でしちゃってるわけですよ。まあ、でも、28歳のうちに2つのことを決意できたので、それはそれで、前に進んでいるような気がします。決意したうちの1つは、「30歳までに起業すること」。もう1つは、「30歳までに結婚すること」。
30歳になる10分前に帰宅し、リビングでテレビを見ながらむかえました。
その前に、すごくうれしい出来事がありました。
昨日、大学院の授業のあと、財務会計の課題で”粉飾決算”をテーマにしているグループとの飲み会で、思いがけずお祝いをしていただきました。サプライズだったので、とってもうれしかった〜。
29歳の誕生日に、「30歳までに起業すること」と「30歳までに結婚すること」を決意していました。
起業のほうは、企業の監査役に就任したり、自分で起業する準備を進めていましたが、もっとビジネスを学ぶために大学院に入学し、経営実務者のプロになるべく着実に前に進んでいます。
結婚のほうは、、、大学院を卒業するまではないかな。精神的な余裕も時間的な余裕もないので、恋愛にうつつを抜かしていられないのです。まあ、焦って変な男と結婚するくらいなら、しなくてもいいかなぁ〜と思ったりもします。
この先の1年も、仕事と学業の両立でいっぱいいっぱいになると思いますが、まあマイペースで進んでいきたいと思います。
#お祝いメール、メッセージをいただいた皆さま、ありがとうございます。
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